私たちの関係は、歪みから生じて、在るべき形に混じり合っていく。
 それは願いにも似た感情だったのかもしれない。けれどあの子の笑顔が、それを信じさせてくれるのだと、夏葉はそう思っていた。
「あたしも、夏葉さんにしてあげたいです」
 暗い部屋の中、夏葉の腕に抱かれた果穂が、その瞳を朧げにしばたかせた。
 それはと戸惑いかけた夏葉の唇をふさいで、果穂は幾度となく口付ける。甘い。柔らかく濡れた唇に、思わず我を忘れて食らいついて、夏葉は自らが何者であるかを忘れていく。
 果穂が口にした言葉の意味は解っている。
 だから夏葉は、果穂がするがままに任せて自らを横たえ、果穂の身体へ触れるのを避けて、自らの肌に意識を傾けた。果穂の口づけが、頬、首筋、胸元へと下っていく。そうして唇が自らに触れるたび、心の縁から溢れた暖かな気持ちが、身体の隅々まで満たしていく。
 赤子のように胸に吸い付く果穂を見て、夏葉は思わず微笑んだ。
 充血したそこから伝わるその吐息に、口腔の熱に、果穂の実在を感じられた。
 二人の関係がいつから始まったのかを、夏葉は思い出せない。二人だけのこの時間は、夏葉にとってそれほどに現実感がなかった。ただ果穂の触れる手が、唇が、あるいは夏葉の指を受け入れるそれだけがただ現実の輪郭を与えてくれる。
 歯を立てた果穂がそっと顔を上げる。
「あの……っ」
 その表情は、扇情的とも困惑とも言えずただ真剣で、首筋や肩の筋肉がこわばっていることも手に取るようにわかった。夏葉はそんな果穂に、柔らかく笑い返して先を促した。
 瞬間、ぱっと表情を明るく変えて、果穂はその身を沈み込ませると、夏葉のふとももの下へ腕を差し入れて、その左鼠径部に吸い付いた。
 私、そんなことしてたかしら――思わず自らに問いかけて、夏葉は苦笑した。果穂は私の真似ばかりだと決めつけるのは、少し自惚れが過ぎる。それに、左頬に左乳房といい、あるいはこの鼠径部への口づけといい、半身ばかり弄ぶような癖は自分にない。夏葉はそのことで、果穂は最初から、果穂なりの想いで私に触れているのだと気が付いて、急に、頬が熱くなるのを感じた。
 夜の始まりを、ふいに思い出す。あの時に気付いたのだ。果穂が幾度となく私に発してきた「好き」は、こうした形をしたものであると。
 果穂が泊まりに来た幾度目かの夜、夏葉は熱気と小刻みな震えに目を覚ました。ぱちりと目を開けると、隣の果穂と目が合った。頬を上気させていた果穂は、私の目覚めに驚愕し、羞恥と困惑から見る間に顔を赤く染めていく。
 果穂――そう呼んだように思う。
 けれどその瞬間、果穂はもう自らを堪えようもなくなっていて、嬌声と共に身を仰け反らせて激しく震えた。
 果穂の吐息だけが部屋に残るようになって、夏葉は、未だ心虚ろな果穂に口付けた。その手で柔らかな肌を撫で、まだ熱く濡れているそこへ触れた。果穂の奥は、夏葉の長い指をすべからく受け容れながら、なおいっそう夏葉を求めて脈打った。指を絡め合い、脚を重ねて、言葉をことほいだ。
 二人の夜を重ねる度、二人は、二人の時間を紡いできた。
 もう、その回数も覚えていない。
 口づけが少しずつ下っていく。
 期待が泡だって、夏葉は細く長く息を吸う。そうして生まれた痺れにも似た緊張が解き放たれたのは、内腿からだった。
 果穂は夏葉の脚を少し持ち上げるようにして、内腿へと舌を這わせた。夏葉は短く、微かに息を吐いて、脚を押し当てるように果穂へと寄せてやる。果穂はそれに気付いたかどうか、ただその愛撫は長く、そこから先へと進む気配を見せなかった。果穂は幾度となく口づけ、舌を這わせて、息を整え、それからまた戸惑いがちに同じ所作を繰り返す。
 他の場所よりも長い長い愛撫が続く中、夏葉は口を開いた。
「果穂」
 その名を呼ぶ。
 ぴくと肩を震わせた果穂が、上目遣いに夏葉を見やる。夏葉はそのまま、言葉を続けなかった。ただ柔らかく果穂を見つめただけだ。果穂はしばらくその視線を受け止め、ややして深く息を吸った。
 果穂はその右腕でぐっと太腿を抱き寄せながら、夏葉の深い場所へと顔を近づける。熱い吐息がそこに籠っている。左の親指が隙間を開いて、暗闇の中にそれを見つめた。
 繰り返された逡巡の果てに、顔を埋めた。
 触れ合う粘膜が微かに水音を響かせる。
 肉をはむ果穂の唇に、なぞるような舌の動きに、夏葉は、思わず腰をしならせた。
 果穂はその太腿をより強く抱き寄せて、にじみ出るものを飲み下すほどに舌で撫ぜ、一度毎に深く意識を流し込んでいく。
 それに呼応して息継ぎにその身を起こし、べったりと濡れた口元をぐいと拭って、果穂は愛しいひとの姿を見下ろした。
 明かりひとつない暗闇の中、その姿は流れる汗に輝いていた。
 背筋がぞわりと痺れて、果穂は、夏葉の中に残していた指で思わずその内側をなぞり上げた。
「んっ……」
 夏葉が声を漏らした。
 その声に、思考を奪われる。胸の鼓動だけが自らを突き動かした。
 駆けだすようにして顔を埋め、今度はもう、親指を添えるでもなく、突き入れるようにぐいと押し広げ、孔と露わになったそこへ、最早ためらわず舌を込め、より深く奥へと潜り込んでいく。
 夏葉が鳴くたび、重なっていく意識が、その果てに野性を揺り起こす。果穂はただ命ぜられるまま――夏葉の無意識より、言葉も示唆も無しに命ぜられるままに、ふたりの感覚が重なるところへ牙を立てる。狩りを覚えたての幼い獣が、獲物をなぶり遊ぶかのように、あるいは拙くその肉を食い散らかすように。
 数本の指を突き入れて孔に掛け、臀部へ向けて引きずり下ろすように力を込めた。ぐいと引っ張るほど、そこへ指を押し当てるほど、夏葉の腰は宙へ浮き上がり、息を引きつらせる。果穂は指を休めずに、一方では暴れる夏葉の腰を押さえつけ、ただその奥底へと喰らい付いていく。
 数度といわずよじられる腰の中で、果穂の指と舌が交互にのたうつ。夏葉の吐息が小刻みに震え、その美しい指がシーツを握りしめる。夏葉の内側を撫ぜていた果穂の指が、孔を半周しながら引き抜かれた瞬間、熱の籠った身体の芯がひと際大きく痙攣して、その細い腰は断末魔のように跳ねあがる。
「く……ぁ……!」
 親指の先までぴんと張り詰めた脚が、シーツに食い込む。
 果穂の牙が、孔の縁をなぞるにつれ、内奥は絶え間なく痙攣と収縮を繰り返していた。
 暴れる腰に果穂は喰らい付いて、溢れ出るものを吸い上げていく。それらが吸われるに従って、痙攣を伴う快楽を引きずり出され続け、夏葉は声を枯らし、逃れようもなく意識を縊られる。牙を突き立てられ、溢れた血が吐息に泡立ち、意識は赤くまみれて暗き水底に沈んでいく。
 水面に光が遠のいで、死を闇とまとう。
 沈み、沈んで……力なくたゆたう手のひらに、触れるぬくもりがある。とぷんと水面が波打った。そっと頬に手を添えて、私に口付けるひと。果穂。果穂。果穂――
 果穂は自らの口で受け止めたものを、舌と共に夏葉の喉に流し入れ、舌を絡める。
 熱の冷めやらぬ痩身を夏葉の身体に撫で付けつつ、力の限り抱きしめた。
 夏葉の鼓動を感じて、果穂は息を整えようとした。夏葉の鼓動に耳を澄ませれば心の落ち着くことを知っていたから。けれど、いつもならすぐに静けさを取り戻す筈の夏葉の鼓動は、今もなお激しく乱れていて、その鼓動を感じれば感じるほど、果穂は自らの鼓動もまた激しく高鳴っていくのを感じた。
 ゆらりと上身を起こし、あえぐ夏葉を見つめる。
(だから夏葉さん、何回もしてくれてたんだ)
 その事に気付いた時、鼓動はひと際大きく脈打って、胎の奥に火を灯す。何かが牙をむいて、心の奥に唸っている。
「夏葉さん、もっとしませんか」
 夏葉は切なげにうめいて、ただ果穂を見つめていた。
「あたし、もっとしたいです」
 果穂の囁きが、脳髄を爪先にこする。
 答えるより早く首筋を撫であげられて、夏葉はその身をよじらせた。先ほどよりも敏感に、より艶めかしく筋を張って。痺れが残る身体の奥を指にかき乱され、喘ぎ声がせり上がる。
「果穂……っ……」
 溢れた嬌声がとめどもなく空気を震わせた。
 果穂はその暴れる脚をからめとり、顔を覆う腕をベッドに押し付け、せり上がる胸に胸を重ねて、衝動の求めるまま夏葉の肉に喰らい付いてくる。
「ねえ、夏葉さん」
 覆いかぶさられ、その名を呼ばれる。
「あたし、もっとじょうずになれますよ」
 幼い獣は、牙を血肉に濡らして笑っていた。