2022/5/25 19:49ふわふわのゆめ
 うつ伏せになって寝ると、悪い夢を見る。それを身体で理解したのはいつ頃だっただろうか。事務所で隙間時間を利用して少しだけ目を閉じるだけだったはずが、そのまま寝てこの体制になってしまったらしい。ほんと最悪。
 そろそろ出ないといけないかも、時計…はここからじゃ見えないか。スマホも机の上だし…と起きあがろう手に力を入れた。が、そこにあるのはソファーではなく少し下の床…に手が届くはずもなく、ガクン、と身体が傾く。身体を打ちつける衝撃と痛みを覚悟して重力に身を任せる。想像通りにどすん、という音とともにやってきた痛みに声が漏れた。…はずだった。
(いっっ…!)
「っぎゃん!」
(…えっ)
 いくら咄嗟に出そうとした声ではあるが、こうも言おうとしたものと違うとさすがに驚く。なんか…視界も低いし、まだ毛布被ってる感じがするし…と先程ソファを触ろうとした手を見ると、毛むくじゃらになっていた。手のひら(?)を見るとなんと肉球もある。
(い、いやいやいや、まさかそんな)
 最悪の展開を確認するために、とにかく鏡を探そう。四足歩行は慣れない(それしかできないという現実には今は目を瞑ることにする)が、玄関で忘れ物をした時に肘で歩いたことを思い出したらなんとなくできた。ちゃきちゃきと爪が床にあたる音がする。慣れない距離感の中、やっと見つけた鏡の前まで歩いてその中を恐る恐る覗く。
目の前にいるのは…どう見ても仔犬だった。
 しかも鼻はピンクだし、尻尾はくるりと巻いているし、両耳がぺこりと折れているし、そんなにもふもふもしてなさそうな犬だ。一階のペットショップやネットでもこんな犬種見たことない。…だとすれば。
「きゅん…」
(雑種…)
 私は犬になってもこうなのか。自分が犬になったという事実よりも先にきたそんな感情が、鏡の向こうにいる冴えない犬の無意識に下がった尻尾に露骨に現れていて嫌になる。
勝手にしょげているとガチャ、と扉が開く音がした。音に反応して耳がぴくりとそちらを向く。
「ただいま戻りました」
 ああ、あのひとの声だ。リビングをそのまま事務所にしたようなここはそこかしこに資料だの他のひとの私物がぎちぎちになっていて犬一匹隠れられる場所なんかどこにもない。いつのまにかひとの足がこちらを向いている。いくら毛に覆われているからと言って今の私は丸裸である。ま、まずい…
「…誰かの飼い犬かな。それとも一階の子?」
 ちがうんです!これは、その、と言い訳をこねくり回そうとしても今の口からはひゃんひゃんという甲高い鳴き声しか出てこない。
「ごめんね、うちペット飼えないし、あまり家にも帰れてないから」
 まだプロデューサーは来ないかな…と言いながら、そのひとは、美琴さんは。すとんとソファーに座る。そしてそのまま優しくぽんぽんと足を叩いた。
「もしよかったら、来る?」
 …ああ、ここで分かってしまった。そもそもこんなに都合の良いこと、現実で起こるわけがない。
 (あ、これも夢か。)
 だったら今の状況をとことん楽しんでやろう。そのうち現実の私も起きるだろうし。そう思って無邪気に彫刻のように綺麗な脚に向かってぴょんと飛び乗る。大きな手が、頬に触れる。…でも、美琴さんの綺麗すぎる指先が自分の身体に触れる感覚はあの時箱の中でのそれと似ていて。それが心地良かったのか、自分の中で答えが出ないまま意識は毛玉と離れた。
*****
 ぱちり、と現実の私が覚醒する。うつ伏せの姿勢で、毛布の端が身体の下敷きになっていて引っかかってしまったらしい。この毛虫みたいな格好のせいで頭がが勘違いして毛むくじゃらになる夢を見てしまったらしい。
「おはよう、よく眠れた?」
 上からよく聞く声がする。その声の主に顔を向けると、そこには夢と同じ美琴さんがいた。
「えっ⁉み、みことさ」
 そう言ってくすくすと笑って、犬みたい、なんて冗談みたいに美琴さんに、私は聞こえない声でくん、と鳴くことしかできないのであった。