2022/9/27 23:07怪盗灯織と探偵真乃
 財宝というものは人の心を狂わせる。一度それに触れてしまえば、本来手の届かないはずのものであろうとどうしても欲しくなってしまうのだ。
 不正な方法で誰かの手に渡ったものをあるべき場所や持ち主の元へと返す。それが私の活動目的だ。だから今日も怪盗としての仕事をこなすべく、本来なら某美術館にシリーズもののひとつとして納められているべきティーカップを盗み出そうとこの屋敷へ忍び込んだのだけれど──。
「……で、このピンを外して投げれば麻痺性のガスが出るわけだ。鍛えた成人男性だろうと簡単に動けなくなるから探偵さんも気を付けてくれ」
「ほわ、すごいものなんですね……っ」
 屋敷の主が自慢げに語り、横の探偵が無邪気に頷く。そして探偵の肩に乗った鳥がのんきに一鳴きする。これから怪盗が来て騒ぎになるとはとても思えないほどゆるい空気が部屋に満ちていた。
 予告状を出して警備員のひとりに成り済まして様子をうかがっているのだけれど、今日はどうにもやり辛い。というのも、御大層なガラスケースや物々しい警備とは似つかわしくないほんわかとした雰囲気の、けれどハンチング帽にコートを羽織ったいかにも探偵風の少女が部屋の中央を陣取っているからだ。
 まだ真新しいチェック柄のコートを床につけながら、買ってもらったばかりのおもちゃを観察する幼子のように目を輝かせて捕縛用の仕掛けを調べている。歳は私と同じか少し下くらいだろうか、今まで対峙してきたどの探偵より若く、あどけない雰囲気をしていた。
 前回まで私を捕まえようとしていた探偵は、確か追いかけている途中で怪我をしたのだったか。彼女はおそらく代打として呼ばれたのだろうけれど、こんな深夜に屈強な警備員たちと共に|怪盗を待つ依頼なんかよりも、昼間に猫探しとかそういう穏やかな仕事をするべきな子なのではないか。いや、鳥を連れているから猫探しは難しいかもしれないけれど。
 なんて、そんなことを考えていたらいつの間にか予告の時間が刻一刻と近付いていた。
「……よし」
 一度深く深呼吸する。──行動開始だ。
 他の警備員たちの視線が窓へ向いた瞬間を狙って防護マスクを叩き落とす。館の主が反応するより先に、自慢げに解説しているその煙玉を背後から奪い取る。あまり褒められた代物ではないが、せっかく準備してくれたのだから利用させてもらおう。
「なっ、いつから──」
 ピンを外して投げる。室内にはあっという間に煙が充満し、まともに吸い込んだ館の主と警備員たちが呆気なくその場へ崩れ落ちた。……全く、よくこんなものを使おうと思ったものだ。先ほどしてくれた解説によると麻痺は数時間は残るらしいからこの隙にありがたくお目当てのものを頂戴させてもらおう。
 ガラスケースに安置されていた今日のターゲットであるティーカップを手に取った。
「ま、待て!」
 悔しそうな顔をしながらも動けない館の主へ勝利の笑みと愛用の青い薔薇のカードを一枚送りつけ、窓から飛び降りる。今日の仕事も無事成功だ。
  ◇  ◇  ◇
 歩道から離れた獣道を進んでいた。
 屋敷の明かりはもう見えない。これだけ距離を離せば追手は早々来ないだろう。周囲にほかの存在がいないことを確認してから立ち止まり、手ごろな切り株に腰を下ろした。
「……思ったより簡単だったな」
 あっさりと盗み出せてしまった今回のターゲットを月に照らす。さて、どんなルートで本来の場所へ返そうか。ただ置いてくるだけではトラブルになってしまうから盗んだあとも怪盗としては気を遣うところが意外と多い。
 そうして一休みしていると不意にガサリ、と背後から音がする。獣かと思ったけれど、人工的なブラウンのチェック柄が見えて人間だと気付いた。
「お、追いつきました……っ!」
「あなたは……」
 そこにいたのは、さっきの屋敷にいた探偵の少女だった。まさか追いかけてこられる人物がいるなんて思わなかった。想定外の事態に身構えるものの、先ほどの麻痺ガスはしっかり効いているらしく動きがかなり鈍い。どうやらそばの木を支えにして辛うじて立っているのがやっとのようだ。本来なら動けないはずなのに気合いひとつでここまで追いかけて来るなんてとんでもないフィジカルと情熱だとは思う。……けれど。
「怪盗さん、ここで捕まえ……」
 ふらふらと伸ばされた指先はあまりにも弱々しく、掴むことすらできずにただ宙を切る。とてもではないが私を逮捕なんてできそうにない。それどころか少し小突けば簡単に倒れてしまいそうだ。
 それに、駆け出しゆえ状況把握がまだできないのだろう。薄暗くて人気もないこの森は、年若い女の子が体の自由が利かない状態で単身追いかけてくるには危険な場所だ。この場にいるのが私だったから良かったものの、場合によっては動物に襲われたり怪我をするより酷い目に遭っていたかもしれないのにずいぶんとと無茶をする。「無鉄砲な行動はおすすめできないよ」と伝えれば、「それが探偵のお仕事ですから!」なんて少しずれた解答を返されてしまった。
「その行動力はすごいと思うけど……けど、これは返さないからね」
「だ、だめでしょうか……?」
「今日の目的だしさすがに渡せないよ。それに、ここで私が逃げたらあなたはもう追いつけないだろうし」
「そ、それは……」
 消沈した探偵ががっくりと膝をつく。ついに立ち上がる気力も足りなくなったらしい。
 さて、ここからどうしようか。この場から逃げて拠点へ帰るのは容易いけれど、麻痺してろくに動けなくなっている少女をひとり放置して立ち去るのはさすがに忍びない。怪盗の敵ではあれどどうなってもいいかといわれたらそうでもないわけだし。しばし迷った後、痺れが回復するまでは近場のホテルかどこかへ連れて行くことに決めた。
 すっかり動けなくなっている彼女の前にしゃがみこみ、ぐっと背負う。同じくらいの体格の子を担ぐのはなかなかに大変だということを今さら知った。
「ほわっ。か、怪盗さん? 一体なにを……」
「その状態で放っておくわけにもいかないでしょ。痺れが抜けるまではどこかで匿うつもり」
 そう伝えれば探偵は「ほわ」と気の抜ける感嘆の声を上げた。力なんてほとんど入らないだろうに懸命に私の背を押して自力で立ち上がろうとしているけれど、途中でバランスを崩して落としそうになってからは状況を理解できたのは半端な抵抗をしなくなった。
「あ、あの……もしかして私、誘拐されちゃうんですか?」
「……そうだね。今日のところは大人しく攫われてほしい」
「ほわ……」
 しゅんと不安げな声をあげる探偵。心配しなくたって明日以降には帰すつもりだけれど、この子の認識では現在どうなっているんだろうか。
 背中にひとつ溜め息がかかる。
「……あの、怪盗さん」
「なに?」
「私、先月から探偵をはじめました櫻木真乃といいます」
「……、えっ?」
 突然の自己紹介。意図が分からずについ足が止まってしまった。
「えっと、その、今晩お世話になるなら名前をお伝えしたほうがいいかなぁ、と思いまして」
「あ、ご丁寧にどうも……ええと、私は風野灯織です」
「ほわ。もしかして怪盗さんの本名ですか?」
「……しまった」
 まさかこんな風に名乗られるとは思ってもいなかったからつい素で返してしまった。調べられたら困ってしまうのだけれどどうするか。この子をこのまま帰すわけにはいかなくなってしまいそうだ。
「あ、あの、えっと……っ。お名前からなにかを調べたり、刑事さんたちには言ったりはしないです」
「え?」
「現行犯で捕まえられたら、って思っているので」
「そ、そうなんだ。ありがとう……でいいのかな」
 なにか色々と間違っている気もするけれど、今日のところはひとまずそれで良いことにする。
「……灯織ちゃん」
 ぽそりと小さなつぶやきが耳に届く。だらんと垂れ下がっていた腕がゆるく回される。
「……次はぜったい捕まえるねっ」
 なんて、さっきまでの落ち込みはどこにいったのかと思うくらい力強く言うものだから。ついおかしくなって小さく笑ってしまった。
「そう。頑張ってね」
 さぁと風が吹いて森がささやくように歌う。見上げた先の木々の隙間から覗いた星がずいぶんとまばゆく見える、そんな夜だった。
 ……翌朝の新聞で「怪盗にライバル出現⁉」だとか、「宝石じゃなくて少女を盗んだ」だなんて記事を好き勝手に書かれたり、あの日以降予告状を出すたびに張り切った顔をしたあの子が私を待つようになった話は、また別の機会に話そう。