1、2、3、4。
8カウント、メトロノーム、キュッキュッと二人分のレッスン靴が擦れる音。ただそれだけが響くレッスン室。毎日、繰り返し見る光景だ。
5、6、7、8。
来月に控えた新曲披露のステージのため、この真剣な空気に加え気を抜いたらこちらが削れてしまいそうなくらいの熱が入る。ただ。
1、2、3、4。
今私が心配しているのは、その熱に焼かれ、焦がされそうな自分の身体ではなく。
「5、6、7、8!」
その新曲でお互い目を合わせる振り付けがあるということだ。
1カウントでお互いの瞳がばちりと合う。目の前にある、蛍光灯に照らされ、長いまつ毛が影を作る二つの赤い瞳は、宝石のような美しさと刃物のような鋭さを併せ持っていて。
―見られているだけで、ぺろりと食べられてしまいそうだ。
*****
「―動き、止まってる。」
「えっ、あ! すみません、美琴さん・・・」
私の慌てて謝る様子をちらりと見て一息ついた後、ちょっと休憩しようか、と美琴さんが言う。練習中には絶対見せない少しだけ顔を緩める様子にほっと安心してしまう自分が情けない。それを誤魔化すようにお水取ってきますね、と逃げるように声を上げる。
「ありがとう、でも大丈夫だよ?自分で取れるし」
「いえいえいえ!私が取りたいんです!」
こうでもしないと彼女の側から離れすらできないことに呆れながら、ペットボトルを手に取る。そのまま自分ので一口飲もうとし―
「ねえ、にちかちゃん」
「はい!」
「にちかちゃんって、目、綺麗だよね」
「え」
え?
「っつ!げほっ・・・ごほごっ・・・⁉」
現実の空気から少しでも離れるために口に入れた水が予想外の場所に着地し逆に引き戻してくる。頭と心臓と鼻と喉の痛みが同時に襲ってきてもう訳が分からない。きょとんとして大丈夫?と先程とほとんど同じ顔で聞いてくる美琴さんにも一挙一動にこうも大袈裟に反応してしまう自分にもツッコみたいことは山ほどあるが、とにかくなんとかして自分のことを無理やり落ち着かせる。
「けほ・・・す、すみません、急に。それで、えっと、何の話でしたっけ?」
「? 目、綺麗だなって」
言い直さないでほしい。
というかそういう話をする空気じゃなかった気がするんですけど⁉
「ど、どうもです・・・?あの、どうしたんですか、突然」
「…どうしてだろう。」
そう言って口に手を当てて考えること数秒。何を言われるかという期待と不安で脳よりも心臓が震えてしまってたまらない。そして美琴さんは考えがまとまったのかああ、と声を漏らした。
「私のこと、前よりまっすぐ見てくれるから。嬉しいな、と思って」
嬉しい、という言葉が単純にもそのまま胸にじわりと広がってしまい何も言い返せずぐう、という鳴き声だけが漏れてしまった。
最近ようやく分かってきた。この人の言葉は、きっと冗談などではない、そのままの意味なのだ。つい広がったあたたかさに押されて私も!と声を出してしまう。
「実はさっき、同じこと考えてました。美琴さんの目、本当に綺麗だなって」
何言ってるんでしょうね、はは、と引くくらいベタな照れ隠しをする。食べられそう、とまで思ってしまったことはさすがに本人に伝えるのは失礼すぎるのでそっとしまっておくことにした。それを聞いてそうなの?なんて言いながらくすくすと笑うその目は、先ほどの紅く鋭い印象とは打って変わり、朝焼けのような優しい光が宿っている。
ここでぴんと閃いた。この流れ…雑談チャンスでは?
「そ、そうだ!今考えません?昨日もらったアンケートのやつ。私、まだ答えられてないのが一つあって」
そう、実はもう一つ、振り付けほどではないが頭を悩ませていたものがあった。今回の新曲の発表に合わせた雑誌での特集に向けたアンケートのことである。曲やレッスンのことについてはまあまあ自分で埋めることができたものの、この質問者のユニットコンセプトに合わせてちょっと変わった質問をしてみよう、という魂胆が見えまくっている『お互いのことを宝石に例えると?』という質問にはなんとなく手がつけられていなかったのだ。
美琴さんはちら、と窓を見たように視線を逸らすと、すぐいいよ、と返事をくれた。そしてそのままスマホを取り出し、『宝石 緑』などと検索をかけ始めた。
*****
「どうです?この中に答えられそうなモノ、ありますかね?」
スマホの画面に指を滑らせ、私にわくわくとした声でそう問いかけた子に一番似ている宝石を探す。自分が思ったより緑色の宝石は多いらしく、たくさんの宝石が一つのページに縦長に並んでいる。しばらく眺めていると薄緑色の石とかちりと目が合った、気がした。その石に呼ばれるように指が動き、ページを開く。
「これとかいいんじゃない?ペリドット。メンバーカラーと同じ緑色だし、太陽の石、だって」
「た、太陽ですか…?そんなイメージですかね、私」
私の選択は彼女にとって意外だったらしく、顔を赤らめながらぶんぶん振るその手は空を切っている。
最近なんとなく分かってきた。にちかちゃんの大きくてきらきらとした憧れを宿した瞳を見ていると、時々部屋の中から晴れの空を見ているかのような気持ちになることを。逆に、時折自分を見ては少しぎこちなく目をそらす時の、瞳の影が揺れる様子を見ると何故かこちらの胸の辺りもざわめくことも。この前の、オーディションに落ちた(と、プロデューサーから聞いた)ときも、そんな顔をしていた気がする。
「…これ、美琴さんみたい」
そうぽそりとつぶやいた瞳の持ち主は、「こちらもオススメ!」と書かれている欄に目線が止まっていた。目線を辿るとアレキサンドライトという宝石に辿り着く。どうやら蛍光灯の下では赤、日光の下では緑とその色を変える宝石らしい。
「この石、皇帝の宝石、なんで呼ばれてるみたいですよ!赤と緑両方入ってますし、こう、ステージを一瞬で自分のものにできる美琴さんにピッタリじゃないですか!」
「…皇帝なんて、初めて言われたかも。」
そうですか?絶対似合うのに!と言ってふふんと手に腰を当てる彼女はなんだか嬉しそうだ。こちらにもそれが伝わってきてついふふ、と声が出てしまう。
「なんか、目の前の人がこうみたい!って意識すると思い出して、またあの振り付けのとき緊張しちゃいそうですね!あ、自分から言い出したことなのに、すみません・・・。」
「―それは、困っちゃうな。」
「へ?」
「ちゃんとこっちも見て、ステージも見てもらわないと、この振り付けは完成しないから。」
ね、とそう言って、にちかちゃんに笑いかける。その大きな瞳を少し揺らしてはい!と 元気な返事が返ってきた。
さあ、レッスン再開だ。自分のスイッチを切り替えるため、ふう、と大きく息をついた。
*****
ステージの上、何百回と踊ったダンスをこれでもかとファンに見せつける。こうやって目を合わせるのも何度目だろうか。
ばちり、と大きな緑の瞳と深く赤い瞳が重なる。お互いの色が、瞳に広がる。
(私は他の人よりも、お姉ちゃんより、プロデューサーさんよりも多く知っているんだ。鋭い赤の美琴さんと優しい緑の美琴さんを。もっと見れるなら、私は。)
(うん、いい表情。きっと、もっと前に進める。この子となら。)
((そんなふうに、思えた気がした。))