2021/2/4 01:29もしも先輩だとしたら
 夕焼けの坂道を歩いていると、思い出すことがたくさんある。レッスンの後、クタクタになって坂を下ったことだとか、寮に泊まろうとしてたくさんの荷物を抱えていったことだとか、熱くなった樹里ちゃんと夏葉ちゃんを追いかけて止めようとしたのに結局私がひとりで置いていかれたことだとか。
 今は果穂と二人で歩いている。赤く染まった空は果穂の髪の色とよく混じって、より鮮やかな色に見えた。横顔をちらりと伺うと、私の目線からでは届かないような遠くを見つめているようだった。果穂は出会った頃よりも随分と大人びた表情をするようになった。あるいは、このシチュエーションが、大人びて見せているのかもしれない。だって、果穂はいつだって口を開けば、頭を撫でてあげたくなるような可愛らしい話ばかりを持ってきていたから。
「先輩っていうのはどんなことを思うんだろうって、最近よく考えるんです」
 ぽつりと、溶けていってしまいそうな声量で、果穂は言った。
「先輩って……私のことじゃないよね」
 言葉の意味を計りかねて、間抜けな返しをする。果穂は、ええと、と呟きながら口をもごもごさせている。どうやら違ったようだと悟って、そりゃあそうだとひとりで頷いた。
「困らせてごめんね。先輩が、どうしたの?」
「その……あたし、後輩ができるのってすごく嬉しいことだって思って」
「うん」
「いいところを見せたいな、っていっぱい頑張れるようになって」
 果穂のその気持ちはよくわかった。出会ったばかりの頃から、ちょこ先輩と呼んで慕ってくれる果穂の前で、格好つけようとしたことは数えきれないくらい記憶にある。その度に、キラキラと瞳を輝かせて笑ってくれるのだから、嬉しくてたまらなかったことも、きちんと覚えている。
「二年生になって、先輩って呼ばれるようになった時、ちょこ先輩とお揃いになったみたいな気持ちになって……」
 それも、ちゃんと覚えている。初めて後輩から声をかけられたとき、放クラのファンであると打ち明けられたこと。ずっと呼ぶ側だったから、呼ばれるのってなんだか新鮮なんです! と事務所に来るなり興奮しきった表情で語っていた果穂は、今思い出しても頬が緩むくらいに可愛かった。
「それで、ちょこ先輩もおんなじような気持ちだったら――なんだか少し、嬉しくないような気がしたんです」
「……嬉しくない」
 呟かれた一言は、果穂にとても似合わなかった。私がようやく一言を返すと、果穂はハッとして手をぶんぶんと振った。
「あ! その! 後輩がいるっていうのは、本当に嬉しいんです! ファンだって言ってくれたことも!」
「それは疑ってないよ」
 慌てるしぐさは、昔から変わっていなくて、妙に安心できた。
 まとまらない言葉を、えっと、その、と呟きながら整理しているのを待つ。急かしたりする気は起きなかった。果穂がこういうネガティブな言葉を口にするのはとても珍しいことだったから、ゆっくりと聞かなければならないと思った。
「あたし、後輩の子も好きなんです」
 どうやら、話したいことがまとまったのか、息をつくように話し始める。
 まっすぐにこちらを向いている視線は、どこか落ち着かなくて、それでも果穂の目をじっと見つめるようにした。
「でも、それでも、ちょこ先輩が、あたしに、おんなじことしか思ってなかったらいやだなって……」
 果穂の指が、私の服の袖をきゅう、とつまむと、その手が震えているのがよく感じ取れた。
「あたし、ちょこ先輩にだけは、ただの後輩じゃなくって」そうして、大きく息をついて。「特別なひとだって思ってほしかったんです」
 やっとのことで言い切った果穂は、夕焼け空や、髪の色に負けないくらいに真っ赤な顔をしていて――。
 私たちは坂道をとうに下りきっていた。