時刻は朝九時。自主練を切り上げ、鍵を返しに事務所に戻ると、テレビに釘付けになっている人の姿があった。仕事の映像でも見ているのだろうか。あまりにもその視線が真剣なので、集中力を切らせてしまったら悪いし、声はかけないでおこうか、とそっとテレビの前を通る。しかしその子はすぐに私の存在に気付くとぱっ、と顔を明るくして、
「あ!美琴さん!おつかれさまです!」
と元気な声を部屋に響かせた。
「お疲れ様。ごめんね?邪魔しちゃったかな」
「いえ!今CMに入ったところなので、大丈夫です!」
「…あれ、仕事の映像見てるんじゃなかったんだ」
二歩足を戻しテレビを覗くと、子ども向けのソーセージやランドセルのCMが流れており、その中で戦隊ヒーローがテレビの前に向かって話かけていた。彼女が見ていたのはヒーロー番組だったようだ。この後すぐに仕事なので、プロデューサーに許可をとって事務所で番組を見ることにしたらしい。彼女曰く、今日は新必殺技が登場する回なのでどうしても時間通りに見たかった、と興奮気味に話してくれた。
「これからその必殺技が出るんです!もし良かったら、美琴さんも見ませんか?」
いつもならこの後すぐに練習があるからと断っていたところなのだが、見たとしてもあと十分くらいなのでそこまで予定に影響はない。彼女が仕事の合間を縫ってまで見たくなる、それほどの熱が注がれる瞬間を私も見たくなった。だから。
「ありがとう。少しお隣、いい?」
少しだけ、彼女の世界を見てみることにしたのだ。
少しの気の緩みも許されない殺陣。爆発やCGをふんだんに使った派手な演出、そしてヒーローの決め台詞。その一つ一つに心を動かされ、番組が終わった後もまるで最高のパフォーマンスを終えたかのように満足そうな顔をしている彼女の顔をみると、こちらまで嬉しくなる気がした。同時にふつりと浮かんできた言葉が口から漏れる。
「…羨ましいな」
「うらやましい…?」
「―ごめんね、そんなにあなたを夢中にさせるヒーローのことが、羨ましいなって思っただけ」
そうだ。私はこの子が見ているヒーローのことが羨ましい。こうやって行動で人に夢を与えられる在り方も、見ている人が夢中になれるものをその身体で表現できることも。
そういえば、いつかかっこよさの秘訣?を彼女に聞かれたこともあったっけ。そのとき、自分のことをあのヒーローみたいだと言ってくれたことも思い出す。だから、この前聞けなかったことを、今度は私から彼女に聞いてみることにした。
「果穂ちゃんは、どうしてヒーローが好きなの?」
私からの質問に、果穂ちゃんはきょとんとした顔をする。えと、えと、と山積みの楽譜からお気に入りを探すようには話すことを探し始め、少しした後口を開いた。
「まず、ジャスティスV は毎回すごくカッコいいんです!それでー」
一度話し始めたかと思うとヒーローの話がするすると出てくる。しかし私が驚いたのはその内容だ。番組のあらすじだけでなく、回ごとの印象に残るシーンやその裏側である役者さんや監督、スタッフさんについての話も同じくらいの熱量で話している。この子はそこまで見た上でテレビの中のヒーローが好きなのか。そうやって彼女の溢れんばかりの言葉に押し流されまいと耳を傾けていると突然その流れがぴたりと止まった。
「ああっ‼ごめんなさい!一人でしゃべりすぎちゃいました…!」
と顔全体で申し訳なさを表現するので、言葉より先に笑いが漏れてしまった。
「止めなくてよかったのに。話すことが止まらないくらい、好きなものがあるっていいね。」
そう伝えると彼女はえへへと鼻をこする。話を聞いてくれることが私が思っている以上に嬉しいらしい。
「美琴さんも、好きなもの、あるんですか?」
「私は…やっぱりアイドルかな。これ以外、考えたことなかったからそうなだけかもしれないけれど。」
でも、果穂ちゃんみたいにどこがどれくらい好きかというのは、まだ言葉にできないかもしれない。
「私がアイドルが好きっていうのは、やっぱりステージの上で伝わるように表現するしかないのかもしれないね。」
ファンのみんなに全て伝わるかは、分からないけどね。と付け足すと、果穂ちゃんは何かも思い出したかのようにあの!と声を少しだけ大きくした。
「あたしが好き!ってことを声に出したりすることで、あたしを見た人の好きを守れるって、言われたことがあるんです。」
確かに、あのくらい熱が篭った話ができる人がいるというのは、あのヒーローの世界を創った人からしたら嬉しくてたまらないことだろう。
「うん」
「美琴さんのダンスを見た時、必殺技みたいに振り付けがきまっていて、一緒にぐわーってパワーを感じて、なんだかスゴくスッゴくアイドルが好きなんだなって!思いました!」
「…そうなのかな」
正直、分からない。私には、これしかないと思っている、いや、思っていたからこそこれにしがみついていたのかもしれない。
果穂ちゃんは、だから、と言葉を続ける。丸い瞳がきらきらとした光を溜め込んだまま、こちらを射抜く。
「美琴さんのアイドルが好きってことも、ダンスや歌を通して、ちゃんとみなさんに伝わってると思います‼」
これは、彼女なりの私への激励なのだろう。その言葉があまりにもまっすぐすぎて、目がちかちかしそうだ。
「…そうだと、いいな」
「はい!きっとそうです!」
そう言って向日葵のような笑顔を向けられると、そうなんだとさも当然のように明るい夢がすっと身体に染み込む気がした。
いつもより、話す練習ができたかな、と先ほどまでいたレッスン室の扉を再び開けると、おはようございます!といつもの元気な声が飛んでくる。こちらもおはよう、と返すと今日も頑張りましょうね、と気合いの入った声がまた返ってきた。
今日のレッスンは、いつもより熱が入りそうだ。