2021/2/11 01:43水音は、響く
 ちゃぽん……と、水音が耳に響く。
 一日の終わりの時間。少し熱めに張ったお湯に身体を沈め、そっとあずけて。湯船の中にぐっと手足を伸ばすと、疲れが溶けていくのを感じて、はぁ……と気が抜けた声が漏れてしまう。
 部屋を決めた時、「お風呂は広めがいい!」と希望したのはめぐるの方だったけれど。こういう時、確かにゆっくり手足を伸ばせるくらい広めのお風呂でよかったなぁ……と、しみじみ思ってしまうのだ。
 なんて、疲れからか少し意識が遠のく心地よさにうつらうつらと思考を揺蕩わせている、と。いつの間にか、脱衣所の方から何やらかちゃかちゃと音がする……?
 ドアの、曇りガラスの向こうには、ひょこひょこと金色が揺れていて。当然、それはこの家の同居人──めぐるだろうけれど……「どうしたの?」と、掛けようとした声よりも、少しだけ早く、ガチャリと浴室のドアが開く。曇りガラスの向こう側からおずおずと顔を見せためぐるは……
「灯織〜一緒に入ってもいーい……?」
 そんな風に、控えめに声をかけてきたのだった。
 おずおずと控えめに……だったけれど、そんなめぐるは、私の返事を聞かずとももうお風呂に入る気満々といった風体で、洋服は脱いで、おろしていた長い髪も軽く纏めていて。「どう言ったって入るつもりなんでしょう?」なんて、揚げ足取りの笑い声はギリギリで胸にしまっておく。一緒にお風呂に入るつもり満々のめぐるではあったけど……私の許可が出るまではと、ひしとドアにしがみついているものだから。あまり問答を重ねて、風邪でもひかれたら大変だから。
「うん、良いよ」
 私の許可を得て、ぱっと溢れんばかりの笑顔を浮かべためぐるは、そのままするりとお風呂場に入り込んできた。
 一緒のお風呂に……気恥ずかしさは確かにあるんだけれど。でも、旅行先で、お泊まり会で、合宿で、仕事で──そして、この家で。共に歩んだ年月とともに、一緒にお風呂に入った回数だって、それなりに積み重ねられている。今更恥ずかしいなんて言ったら、どんな風に笑われてしまうのだろう。
 そんな事をぼんやりと考えていると、お湯を軽く身体にかけていためぐるが、桶をおいて湯船の中に入ってこようとするところだった。慌てて、めぐるが入るスペースを作るようにと足を引っ込めようとして……
「あ、待って待って、そのままでいて!」
「?」
 めぐるの静止に、ぴたりと動きを止める。どういう訳かを聞く前に、めぐるはそろりと、小さな水音を立てて湯船に足を入れてくる。その様子を、私はただただ見つめているだけだった。
 ……出会った頃より背も伸びて、すらりと長いめぐるの腕と脚。その、流れるような動きが、本当に綺麗だな……なんて、ぼうっと見惚れていた私は、もう大分、のぼせてたのかも知れない。
 湯船に入ってきためぐるは、湯船全体に身体を横たえてる私が伸ばした両足を、そのすらりと長い脚で挟みこむようにして、上からお尻をちょこんと乗せて馬乗りになるように座り込む。体の向きは、私と向かい合わせで、大変に満足げな表情だ。
「えっ……と?」
 足を押さえつけられ、背中は湯船に預けている私は、前にも後にも逃げ出すことが出来ず、ただただめぐるの楽し気な瞳を見つめることしかできない。澄み切った空の色の瞳の中に映る私の表情は、困惑とともに──何かの期待をはらんでいるように感じて、自分でもどきりとしてしまった。
 すっ……と肩に触れためぐるの手。それは、身を包むお湯に反して酷く冷たくて、思わずぞくりと背中が震えてしまった。どうしての疑問のすぐ後に、あぁそういえば洗い物を頼んでたんだっけと、微かな理性が答えを導いてくれて。私は、その働き者の愛おしい手をそっと撫ですさる。洗い物で冷たくなっためぐるの手と、お風呂で暖められた私の手。冷え性気味の私をあたためてくれるめぐる、といういつもとは逆の立場が──めぐるをあたためられる私の手が嬉しくて、何度も何度も、撫ですさって──
「……ひおり?」
 いつの間にか、澄み切った空は、雨待ちの夕暮れのようにとろとろに溶けていた。
 だから、私は。
「……ん、いいよ」
 ちゃぽん……と、水音が響く。
 耳に届いた水音がどこから聞こえたものだったか……重なり合った私達には、もうわからなくなっていた。