2023/7/6 09:20なくてはならなくないもの
 朝起きて一番にすることは、利用しているSNSを確認することだ。リアルでは引きこもりがちな私でも、スマホの中には一万超えの友達(フォロワーさん)がいる。
「あ。もん吉さんだ。今日もコメントくれてる」
 フォロワー数の割りにコメントは少ないが、親友とも言える常連さんもいる。
「ふふふ、今日も元気そうだなあ」
 現実では一日誰とも喋らなくても、スマホの中には私を待っていてくれる人がいる。そう思ったら、現実では最低最悪なこの現状でも、今日も生きる気力が湧いてくるから不思議だ。
 スマホの画面を操作しながら、私はベッドから起き上がった。
 そのままトイレを済まし、いったんスマホを置いて洗顔してから調理台に向かう。昨日の残りの鍋に同じく残ったご飯を入れ、味噌を少しだけ入れて味噌仕立てのおじやにした。
 それをスマホを見ながら食べてしまうと、お気に入りのマグカップにインスタントコーヒーを淹れ、ひと息ついてベッドに戻る。
「もん吉さん、おはよう。今日も元気そうですね、と」
 ベッドに寝転んでスマホを操作して、もらったコメントに返事をして行く。これが私の一日の始まりのルーティーンだ。
 スマホに表示されている現在時刻はそろそろ13時になろうとしている頃で、この時、初めてもう朝だとは言えない時間だということに気がついた。
 現時点ではスマホの中が私の全てで、私の耳に届く音は、私がスマホを操作する微かな音と誰かが家の前を通っている音だけで。ワンルームと言えば聞こえはいいが、六畳一間のアパートに住む私の耳に届くのは、自分の生活音より他の住人が立てる音のほうが多い気がする。
 何しろスマホを弄っている間はほとんど無音だから、自分以外が立てる音だけが私の鼓膜を震わせる。
「あー、またアンチが湧いてる。ブロック、と」
 私がスマホに、SNSに依存するようになったのは、前の仕事をクビになったからだった。特に大きな失敗をしたわけでもないが、与えられた仕事だけを淡々と熟していたら、向上心がない社員はいらないと依願退職をさせられてしまった。
「うわぁー、最悪。このバズってる投稿にコメントしてる人、アフィリエイターじゃん。こいつもブロック、と」
 言ってみれば不当に解雇されたことになるが、実はこれで三度目だ。一度目は仕事が出来すぎて直属の上司からパワハラに遭い、二度目は今回と同じ理由で依願退職をした。
「てか、お洒落な写真も何もアップしてないのに、文章だけでもなんとかなるもんだなあ」
 退職金や貯金でなんとか暮らしていけるから、三度目の今回は就活をせず、未だ部屋に引きこもってこんなことをやっている。仕事の愚痴の投稿がバズったのをきっかけに、いつの間にか私のアカウントは人気垢になった。
 そのうち、お洒落な写真や可愛い自撮り写真をアップしているわけでもないのに、仕事の愚痴を投稿するたびにバスるようになり。一日、ベッドでゴロゴロしながら、私はスマホに向かっている。
 そうこうしているうちに15時を過ぎ、買い物をするために眼鏡をかけて家を出た。
 買い物のお供は勿論、スマホと財布と、それに眼鏡とで、私は酷い近視で眼鏡がないと生活できない。裸眼だと車や人、建物だとは雰囲気で区別できるが、人の顔も間近ですれ違うまで認識できない。
 言ってみれば眼鏡やスマホはなくてはならないもので、手放すことができないものだ。
「ん?」
 その時、SNSで自分のアカウント名をエゴサーチしていたら、先ほどブロックしたアンチが私のアカウント名にハッシュタグを付けて、誹謗中傷しているらしいことを示唆する投稿を見つけてしまった。
 慌ててアンチのアカウントをブロ解する。
「うそ。何これ」
 次々と投稿されていく内容に目を見張った。誹謗中傷が始まった投稿には、どこから漏れたのか愚痴を投稿した職場の会社名が記載されていて、本人(わたし)の特定には至っていないものの、その会社では出来の悪い社員は依願退職させられる社風であること、本人を特定しようと思えばできるけど、可哀想だから(カッコ笑い)特定しないと記載されていて。
 その投稿は、見る見るうちに『いいね』が付いて共有されて行き。怖くなった私はフォロー数が一万超えだった自分のアカウントを、その場で削除してしまった。
「……っっ」
 まだ心臓がバクバク言っている。なくてはならないものだったものが、なくてもいいものに変わった瞬間だった。SNSがなくとも生活に支障はない。急に現実でも周りが気になり始め、眼鏡を外し、足早に家に舞い戻る。
 眼鏡がなくて不安だったが、障害物を避けることで何とか無事に家まで着いた。この時、眼鏡もなくてはならないものじゃなく、なくてはならなくないものだってことに、不意に私は気づいたのだった。