2021/2/4 01:48半熟4/ドルオタな私と半熟Pたん
私はアイドルが嫌いだった。
理由は簡単。お兄ちゃんがアイドルのファンだったから。お兄ちゃんっ子だった幼い私にとって、アイドルとはお兄ちゃんを奪うものだったからだ。
その認識が変わったのは、十一歳の夏。お兄ちゃんに連れられて行ったとあるアイドルのライブ。会場の熱気は凄まじく、私はお兄ちゃんの手を握っていないと、不安で仕方がなかった。
だけど。その不安は一瞬で吹き飛ぶことになる。
「今日は、私達Triad PrimusのLIVEに来てくれてありがとう。最後まで全力で駆け抜けるから、ファンのみんなもついてきてよ。——それじゃさっそく……1曲目、いくよっ!」
ステージの上に立っていた3人の女の子は、とてもキラキラしてて、かっこよくて……可愛かった。私はたちまち彼女たちに魅了され……お兄ちゃんの手から離れて、両手で彼女達を応援してしまっていた。
つまり、私もお兄ちゃん同様ファンになってしまっていたというわけだ。
それから、私はファッション誌や音楽雑誌を読むようになり、あのステージで見たアイドル……Triad Primusについて調べるようになっていった。
クールでまっすぐで、ストイックな渋谷凛ちゃん。明るくて楽しい、だけど頑固な神谷奈緒ちゃん。そしておしゃれで可愛い、だけどしっとりとした歌声の北条加蓮ちゃん。
調べていくうちにステージでは見えなかった顔が見えるようになると嬉しくて。そんな楽しみを覚えた私はすっかりドルオタになっていた。
それからしばらくして、私はTriad Primusのひとり、北条加蓮ちゃんの握手会へ赴くこととになる。
『Trinity field』のCDに封入されていた握手会への参加券。運悪く一枚しか入手できなかったそれをお兄ちゃんは、「結華が行きな」と言ってくれた。私がアイドルに理解を示してくれたことがお兄ちゃんは相当嬉しかったらしく、結果として兄妹仲は以前よりもよくなっていた。これもアイドルのおかげだけど、閑話休題。
握手会には男の人も女の人も、若い人もいれば当時の私から見ればおじさんおばさんにしか見えない人もいて、お兄ちゃんもいないので私はかなり、緊張していたと思う。
「では、次の方ー」
アロハシャツを着た男の人の声が聞こえてきて、いよいよ私の番。
「は、はい!」
目の前にいるのは、あのLIVEでかっこよく熱唱し、優しくバラードを歌った北条加蓮ちゃん。栗毛色の髪は鮮やかで、薄めのネイルはそれでもきめ細やかな真珠のように輝いていて。
そして何より、私を迎えてくれる笑顔はまるで。そう、まるで。
(こ、言葉が出ない……!)
目の前に北条加蓮ちゃんがいる。毎日歌を聴いて、出演してるドラマやラジオは全部チェックしてるあの加蓮ちゃんが。
緊張しながらも私は、ぎこちなく前に出て、いよいよ加蓮ちゃんと真正面に向き合う形になっていた。
「今日はありがとう」
そう言って、にっこり笑顔で手を差し出してくれる加蓮ちゃん。
「よ、よろしくお願いします!」
その手を恐る恐る、取る私。たぶん最後の方声うわずってた。
「へー、その髪、可愛いね?」
加蓮ちゃんが言う。
「……あ、ありがとうございます。でも、もうすぐ中学生になるし、子供っぽいかなって」
お下げ髪は私のトレードマーク。だけどそろそろ似合わなくなるんじゃないかと、子供っぽいって笑われるんじゃないかと内心、私は不安だった。だけど加蓮ちゃんは、それをきくと首を横に振る。
「ううん、そんなことないよ。私は結構ウェーブ入れたり髪いじっちゃってるけど、あなたはそういう、シンプルなのが似合うと思う!」
「え……あ……ありがとう」
「今度、中学なの?」
加蓮ちゃんの手は温かくて、声は優しくて
「……じゃあ、これあげる」
加蓮ちゃんは左の手から、私の手の中に何かを渡してくれた。
「お守りだと思って。これから先の将来もきっと、いいことがたくさんあるって!」
そこで時間は終了し、私は加蓮ちゃんに一礼して後にする。
「……お守り、かぁ」
列から離れて、手を開くとそれは小さな、
Triad Primusのロゴがデザインされたピンバッジ。
「…………あったかい手、だったな」
それが私の大ファンだった加蓮ちゃんとの思い出。その後も、何度もLIVEに行ったり、イベントに参加したり、グッズを集めたり……その度に“推し”は増えて、アイドルの世界は私の生きる糧となっていった。
それは、シンデレラの魔法が解けた、アイドル冬の時代と揶揄される今でも変わらない。
“推し”のひとりでもあったVelvet Roseの黒埼ちとせが急死し、Triad Primusが解散し、それから少しずつ私のドルオタとしての全盛期を彩ったアイドル達が表舞台から姿を消しはじめて、或いはアイドルから女優やタレント、歌手といった別の道へと進みはじめて何年だろう。
それでも、フリルドスクエアをはじめ当時から活躍し、未だにアイドルとして活動する子達はまだまだ多く、アイドル界のトップシーンを走り続けている。一方で、かつてはあんなに盛んだった新人アイドル企画が下火となって、お茶の間を賑わせるアイドルの顔ぶれに変化が乏しくなった。
新人アイドルの活躍の場は誰もが憧れるステージから、ネット配信や深夜番組を中心としたものに変化し、私の小、中学時代のように誰もが話題に出すようなものではなくなっていった。
それは私のようなマニアからは、居心地の良さすら感じられつつ、逆にこれからアイドルのファンになるきっかけに乏しい時代。
これから先、少しずつ業界の先細りを予感せざるを得ない。そんな時代だった。
でも、だからこそ私はアイドルを推す。
かつて、最推しアイドルが私に言ってくれたんだもん。『この先の将来も、きっといいことがたくさんある』って。だからきっと、アイドルにはまだまだ夢がある。
アイドルを推して、応援することが、私からアイドルへの恩返しだって、そう信じているから。
お気に入りのキャップに、お守りのピンバッジ。今の私の基本スタイル。それに鞄には歴代の推し達がたくさんいて、毎日が楽しい。そんな楽しい毎日の中で、いつも通り大学からアパートに帰る矢先のことだった。
突然の雨。今日の天気は晴れと言っていたのに。当然、傘を持っていなかった私は、走ってバス停まで駆け込んだ。
「ひゃー、雨とか聞いてないってー!」
いや、そういえば「この辺の人は気をつけた方がいいかも」ってこずえちゃんが朝のニュースで言ってた気がする!
「グッズとか濡れてないよね? 大丈夫だよね? えっと……」
確認する私は、慌てすぎててキャップのバッジが取れてしまったことに気づかなくて。
「これ、落としましたよ」
そう言って、バッジを拾ってくれた人と出会うことができた。
「あ、ありがとうございます! これ限定品で…………」
目の前にいたのは、スーツ姿の女性。推定20代半ば。栗毛色の髪は丁寧に整いつつも、後ろで軽く結われていて、爪には薄めのネイルが真珠のように輝いている。
「…………うそ」
見間違えるはずもない。
北条加蓮。私の人生を変えた、最推しアイドル。
「アイドル、好きなんだ」
その声色は、昔聴いたのと同じように優しくて。
「ねえ、アイドル……興味ない?」
「え?」
そりゃあ、興味はガンガンありますが。あなたのおかげで私は立派なドルオタですが!
……などとは言えず。私は目の前にいる最推しの言葉を待つ。
「あ、ごめんね。急すぎたよね。えっと……アイドル、なってみない?」
そう言って加蓮ちゃんは、私に一枚の紙を差し出した。
「……プロデューサー?」
「うん。まだ半人前だけど、今規模としてはそこまで大きくないんだけど、新人アイドルプロジェクトが発足して、メンバーの選定とプロデュースを任されたの」
あの北条加蓮が。トップアイドルが、プロデューサー。私は混乱して、
「あ、あはは。いきなり何事っていうか……その冗談、今日イチ面白いです」
心にもないことを言うしか、できなかった。
「ううん。冗談じゃないよ」
だけど加蓮ちゃんは、あの日握手会でみた笑顔じゃなくて。ステージの上で、私がはじめて見た真剣な、真っ赤な太陽のような瞳で。
間違いなかった。加蓮ちゃんは信じてる。私が魅せられたステージの、その先があることを。
アイドル冬の時代? シンデレラの魔法が解けた? きっとそんなこと、加蓮ちゃんには関係ないんだって、思い知らされた。
「いや、興味はめっちゃありますけど……。え、本当に?」
私でいいの? 私はただの、あなたに憧れてるだけのドルオタだよ?
「……私、小さい頃アイドルに夢を貰ったの」
加蓮ちゃんは、語り出す。私にと言うよりも、自分自身に語りかけているようにも聞こえる。
「私を見つけて、アイドルへの一歩を歩く勇気をくれた人がいた。その人と、幼い夢のおかげで、今の私はこうして半熟だけどプロデューサーとして、大人になってもアイドルに携われてる」
夢をくれたアイドル。それは私にとって加蓮ちゃんで。
「だから、私……アイドルに恩返しがしたい」
「⁉」
それは。それは。
「……本当に、私でいいんですか?」
「うん。あなたがグッズを大事にしてて、何より心の底からアイドルが好きなんだなって笑顔をしてたから。あなたとなら、できる気がしたの」
その時、私がどんな顔をしていたのか、できれば知りたくない。だからここには記さない。だけど、私は加蓮ちゃんの……プロデューサーの手を取って。
「……そ、そこまで言ってもらえるなら。
三峰結華です。よろしくおねがいします」
そう、答えていた。
「三峰結華です。よろしくおねがいします……」
結華と名乗ったその子の手を取ったその時、確かに私は聞いた気がする。錆びついた運命の鍵が、回る音を。
「さっそくなんだけど、これから事務所に案内していい?」
「えっ? まさかそこで『ドッキリ大成功!』とか……」
「そんなことしないって! 私は本気!」
三峰結華。この子ならきっと、長い冬の終わりを齎してくれる気がした。