2021/11/4 01:45コーヒーでにごす(かほなつ)
 早い時間からの撮影は嫌いではありません。
「果穂、洋菓子を頂いたのよ。一緒にどうかしら。」
「! お菓子︙︙! はい!」
 その後の時間も一緒に居られるから。
 早起きをして臨んだ撮影は大きなトラブルもなく、まだ明るい時間に終わり、せっかくだから、と誘ってくれたのは一緒に撮影をしていた夏葉さんでした。不在のプロデューサーさんに撮影が終わったことをメッセージで伝え、夏葉さんの家に向かいました。尽きない話題、にこにこ楽しげに笑う夏葉さん、ふわふわと香るコーヒーの湯気に心が踊りました。
 ぶー、ぶー。食後、程よい満腹感の中で談笑していると、鈍い音が響きました。
「︙︙ごめんなさい。プロデューサーからだわ。」
 ちょっとでてくるわね、そう言った夏葉さんの顔は大人の顔でした。廊下に出て離れていく声に、浮かれた気持ちが少しだけ別の方に向いたのがわかりました。残されたあたしを慰めるようにグラスの光がゆらゆらと揺れています。その眩しさから逃げるように目をそらすと、ふと夏葉さんのカップが目に入りました。それは夏葉さんのお気に入りで、真っ白な表面に大きく咲く花が夏葉さんのきれいな手に似合います。
 でき心だったんですう。以前ちょこ先輩が樹里ちゃんに言った言葉が耳元できこえた気がしました。手にとってみても温度は感じられません。覗き込んでみるとその中にはまだ黒々とした液体がありました。そこにうつったあたしの顔は、思っていたよりもずっと寂しそうで、ちょっとだけむっとしていました。
 華奢な持ちてを握って、少しだけ揺らしてみます。それでもあたしの表情は消えずに、よりおかしく歪むだけでした。
 少しずつ夏葉さんの声が近づいてきました。あたしの顔は揺れて歪んだままでした。声が止んで扉が開く寸前、あたしはカップに口をつけて傾けました。
「おまたせ、果穂︙︙ふふっ。」
 夏葉さんはあたしの顔を見た途端、控えめに吹き出しました。それもそのはず。口に流れ込んできた芳醇な香りと、それをかき消すほどに広がる苦味に、あたしの顔はよりおかしなことになっているはずです。
「に、にがい︙︙。」
「ブラックだもの。」
 夏葉さんはあたしを咎めることもなく、コーヒーがよかった? とききました。それに首を振って応え、なるべく目尻を下げて笑いました。それを見て夏葉さんも笑います。その顔は楽しげで、ほっと息をつくと、香りの中に少しだけ甘さを感じた気がして、頬が緩むのでした。