芹沢さんは浮いている。
誰から見たって浮いている。
クラスの子に、あさひちゃん、浮いてるよね、とクスクス笑いながら耳打ちされた。私はとりあえず曖昧に笑っておいた。
廊下で私たちの担任の先生と数学担当の先生が、まあ、個性ってやつなのかねえ、なんて話していたのを聞いた。私は心の中でそうですよ、とこっそり言った。
クラスの男子がお前気味悪いんだよ、なんてひどい言葉を投げかけているのを見た。私は勇気は無いくせに中途半端な正義感だけある私を呪った。
芹沢さんはすごい人なのに。みんな浮いている、ってだけでそこしか見ていない。
例えば、先週の体育のダンスの授業で講師の人のダンスをすぐに真似できていたのがよく印象に残っている。何が気に入らないのか、同じところばかり踊っていたせいで体育の先生に叱られていたけど。(先生はちゃんとできてるから、となだめていたけれど芹沢さんは違うんすよ! と5分くらいごねて結局先生の方が折れていた。)
芹沢さんはかなり運動神経がいいみたいだ。体が軽い、というのはこういうことなのかもしれない。本来そういう人はクラスのヒーローというか、そういうものに似た立ち位置にいるはずなのに。
私はどうしようもなく平凡で、普通で、特別なモノなんて何一つ持っていないから、芹沢さんが少しうらやましい。
いや、それでも浮くのはちょっと恥ずかしいかも。気が弱い私はやっぱりこんな思考になってしまう。
私がそうじゃなくても、友達にいたら変わった視点から世界を見られるだろうからきっと楽しいと思う。中学生というのはやっぱりお年頃ってやつだからみんなはそうは思わないみたいで、芹沢さんは基本一人で過ごしている。でもきっと芹沢さんは学校のクラスになんて収まらずにもっと大きい場所で輝いて羽ばたける人なんだ、と思うのは過剰評価なのだろうか。いつしかそんなよく分からない信仰のような感情を抱くようになっていた。
いつも昼ご飯を一緒に食べる子が今日は小学校からの仲良しグループでご飯を食べるらしいから、私は一人屋上でお弁当を広げて青空を見ながら黙々と昼ご飯を済ませた。空を見上げて流れる雲の形を適当に何かに例えていると、急に扉が開いたから私は小さく悲鳴を上げた。
「あれっ、先客がいる!」
隣座るね!
芹沢さんだ。さっきの悲鳴を聞かれていたのではないか。恥ずかしいな。
私は雲を見るのも飽きてきたから、横目で芹沢さんを観察することにした。
芹沢さんはひじきを箸でつまんで顔をしかめた後、目をぎゅっと瞑って意外と小さな口にひじきを運んでゆく。すべてのひじきを食べ終わった後、にっこり笑顔で卵焼きをほおばった。嫌いなものから先に食べるタイプらしい。
一瞬かちんと視線が合って、わ、と声を上げてしまいそうになった。芹沢さんの目は空のような吸い込まれそうな澄んだ色をしていて、思わず見入ってしまいそうになったけど、見ているのがばれちゃったんじゃないかと思うとなんだかきまりが悪くて慌てて目を逸らし、また空を見ることにした。
しばらく空を見ていると、飛行機が飛んできたから軽く目で追う。飛行機は私の帰り道と反対方向に飛んで行ってきれいな飛行機雲を作った。飛行機雲はなかなか消えずに空に残っていた。
「明日は雨かなあ」
芹沢さんも飛行機の行く末を見守っていたらしく小さくそうつぶやいた。
「わたしもあんな風に飛べたらなあ」
芹沢さんは立ち上がってばさばさ。手を上下にゆっくりと動かした。鳥の真似だろうか。
「まだ見たことないところまで飛んでいけたらいいのに。ねっ」
一瞬、誰に話しかけているんだろう、と思った後ここには私と芹沢さんしかいないことを思い出す。話しかけているとしたら私しかいない。何か答えなきゃ。そう焦るほどに頭は真っ白になっていく。まずい、何でもいい。何でもいいから言わなきゃ。
「せっ、芹沢さんなら! 絶対、できると思う……ます……」
……やばい。やばいやばいやばい。めちゃくちゃ気持ち悪くなっちゃった……! 引かれてたらどうしよう、ていうか引かれるのが当然だ。気持ち悪いし。私だったらもう私とはかかわらないし今日の記憶もなかったことか夢オチにする。もう私の学校生活もここで終わりかもしれない。いや、それは大げさ?
「……ほんと⁉ できるかな? あははー! きっとすっごく楽しいね! 北極とか……アメリカとか! わ~! ワクワクしてきた!」
「へ」
「? どうしたの?」
「あ、や、なんでも……」
よ、よかった。どうやら特に引かれたりはしていないらしい。芹沢さんはどこに行きたいかの羅列に夢中みたいで、楽しそうにいろんな場所の名前を挙げていた。
あそこもいいな~、と声と妄想をはずませながらふよふよとあちらこちらを飛び回る芹沢さんを見ていると、こちらまで笑顔になってくる。
今はこうやって私が頑張れば手を伸ばして掴める場所でふわふわと浮いているけど、きっといつかは届かないくらい遥か高い場所まで飛んで行ってしまうのだろう、なんてなぜか確定事項のようにぼんやりと思った。
キーンコーンカーンコーン。
「あっ」
予鈴だ。そういえば、昼休みだった。すっかり忘れていた。しかも次は移動教室じゃなかったか。
「次、なんだっけ?」
「え、理科……」
「……ってことは、理科室だ! 実験だー! 早く行こう! 遅刻しちゃう!」
芹沢さんはそう言って私の腕をがっしりつかんで、走り出す。地面に足がついてなくても走るっていうのかな? とくだらない質問を思い浮かべながら私は芹沢さんに引きずられるがまま理科室へ急いだ。
なんだか今日の芹沢さんは、いつもより高い場所で浮遊しているような気がした。
芹沢さんは浮いている。
いつの間にか、芹沢さんはアイドルになっていた。いつの間にか、昼休みに誰かが必ず訪ねてくるようになった。
あさひちゃん、すごいよね。昨日の歌番組見た? 友達に話しかけられた。私は複雑な心境がばれないように、見たよ、と言って笑っておいた。
廊下で私たちの担任の先生が、国語担当の先生に、前より溶け込めてよかったです。浮いてはいますけど。なんて言って笑っているのを見た。私はつまんないジョークですね、と心の中でこっそり毒づいた。
クラスの男子がお前スゲーじゃん、バラエティー見たぜ、なんて芹沢さんにしゃべりかけているのを見た。私は芹沢さんはずっとすごいけどね、なんて勝手に得意になってしまっている私を自分で嫌悪した。
芹沢さんはいつもと変わらない表情で、日々を過ごしていた。変わったのは高度くらいのものだった。
芹沢さんは浮いている。
明らかに前よりも高い場所でふよふよ、授業中に窓の外を眺めていた。窓の外には飛行機が飛んでいて、飛行機雲を作りながら私の帰り道の方向へ飛んで行った。飛行機雲はすぐに消えた。
「……明日は晴れかなあ」
あの日の芹沢さんみたいに、私は小さくつぶやいた。